2011.10.8 陸前高田市広田湾 「積み重ねた誇り」

吉田悦郎(牡蠣養殖漁師・61歳)/熊谷政之(牡蠣養殖漁師・48歳)/新沼智文(牡蠣養殖漁師・44歳)

陸前高田の広田湾に浮かんでいた約800艘もの養殖イカダはすべて流されてしまった。

岩手県陸前高田の広田湾で養殖される牡蠣は、日本屈指の粒の大きさを誇り、東京・築地市場でも高値で取引される。19歳から40年以上、広田湾で牡蠣を養殖し続ける吉田悦郎さんの育てた牡蠣は一昨年、築地で日本一の高値がついた。その吉田さんの60艘の養殖イカダは、海のもくずと消えた。家も流され、避難所生活を余儀なくされる。

しかし、5月末には、あらたな養殖に向けた種付けをはじめる。

「もちろん、途方に暮れた。でも、流されたイカダが戻ってくるわけもない。ましてや牡蠣が育つわけでもない。結局、俺たちには、これしかないんだから」

もちろん再びあの味を取り戻せるかは、半信半疑だった。しかし、悲観していても何もはじまらない。前に進むには、自らが動きださなければならないことを吉田さんはすぐに理解していた。

牡蠣の養殖を18年続けていた新沼智文さんは、イカダも船もすべて流された。まだ40代半ば。廃業も頭をよぎった。

「どうすっぺと思っていたら、吉田さんが種付けするっていうもんだからびっくりした。でも、やっぱり心のどっかでは、築き上げたトップブランドを取り戻したいって気持ちもあったし」

20年以上、牡蠣の養殖を続けてきた熊谷政之さんも言う。

「誰も先なんか見えないけどさ。今なら海の栄養を独り占めにできる。悪くなる要素なんてない。なんもないけど、やってみようと思った。それに、バカだ、ボケだと言い合える仲間がいたからね」

以前の牡蠣を復活させる。一人では到底たどり着くことのできない道のりだ。

養殖イカダは10mと4mの2種類の杉の間伐材の丸太を組み合わせてつくる。丸太を運び、ドリルで穴をあけ、太いボルトを重い金槌で打ち込んでいく。男手が4、5人集まって、1日に3艘つくれるかどうかだ。被災者支援のボランティアが手伝ってくれるときもあるが、冬場は山間の雪も深くなり、その数も激減する。材料の間伐材が足りないこともあり、そうすんなりとは進まない。地道な作業が続く。養殖イカダができても、収穫までは半年から1年は優にかかる。とりわけ大粒の広田湾の牡蠣を育てるには2年から3年の月日を費やすといわれる。

それでも吉田さんは、イカダづくりを手伝いにきたボランティアにはっきりと言い切る。

「俺たちには積み重ねてきたものがある。絶対に牡蠣を復活させる。だから、その時はぜひ食べにきてほしい」

その言葉に、迷いはない。いや不安や迷いはあるのかもしれない。しかし、そのためらいが何も生み出さないことを悟っているのだ。だからこそ、俺たちならできると自分たちに言い聞かせるように前だけを向いているのだ。

震災は、あらゆるものを奪った。

しかし、吉田さんたちが長年、積み重ねてきた誇りまでは決して奪うことはできない。

吉田悦郎
吉田悦郎(牡蠣養殖漁師・61歳)

熊谷政之
熊谷政之(牡蠣養殖漁師・48歳)

新沼智文
新沼智文(牡蠣養殖漁師・44歳)

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