2011.10.9 陸前高田市黒崎神社 「絆なんて昔からあるんだよ」

菅野修一(虎舞組長・60歳)/菅野将明(虎舞師・38歳)

その伝統は途絶えようとしていた。

根岸梯子虎舞。正式名称は、「風流唐獅子曲乗之体(ふうりゅうからじしきょくのりこれからだ)」。

お囃子にあわせ、唐獅子の衣装に身を包んだ勇士が地上20m、最大傾斜角53度、49段のはしごの上で命綱もなしに舞う。まさに命がけの伝統芸能である。

陸前高田市広田半島の南端に位置する黒崎神社で4年に一度行われる式年例大祭に、豊漁と悪魔退散を祈願して長年披露されてきた。

2007年の祭りは地元の屋台も多数出店し、盛大に行われた。あれから4年。震災により壊滅的な被害を受けた地域住民たちは今年ばかりは祭りの自粛を望んだ。唯一人、菅野修一さんをのぞいては。

「300年以上は続いてるんじゃないかな。子どもの頃は、いつかは俺もってみんなあの梯子に憧れたもんだよ」

修一さんは、23歳の頃から虎舞を舞い続けている。乗り手の少なかった若い頃は一日に何度も梯子に昇ったそうだ。ここ10年ほどは組長として虎舞を引っ張ってきた。

半農半漁、わずか400人ほどの小さな地区では、都市部へと出て行く若者も少なくない。しかし、祭りになると、誰もが帰ってくるという。

都市部でしばらく働いていた菅野将明さんも、10年程前に広田へ帰ってきた。

「30歳を前に広田に帰ってきました。父親が虎舞をやっていました。だから、いつか自分もと思っていましたね」

梯子に昇れるのは、長男と決まっている。家業を長男が継ぐように、伝統もまた脈々とこの地域で受け継がれてきたのだ。しかし、虎舞への強い思いを抱いていた将明さんも祭りの開催には反対だった。

「これだけ悲惨なことが起きたのです。当然、自粛すべきだと思いました」

将明さんは、震災直後、消防団として被災地域をまわるなか、大切な人を失った人たちから心ない言葉を浴びたこともあったという。

「自分たちは大した被害もなく、負い目のようなものもあって、辛かったですね。そんな経験もしたので、被災した人たちの感情を逆なでするのではないかと不安でした。祭りなんかしやがってと」

しかし、修一さんは、頑として開催を訴えた。

「祭りだけは特別なんだ。ここを出てった者もみんな帰ってきて、子どもから老人までみんなが一緒になって祭りをつくる。それが昔からの地元の絆なんだ。」

そして修一さんにももう一つ開催した理由があった。

震災の直前、東京で行われた全国の伝統芸能が集まるイベントに参加した。震災の翌日にはテレビで全国放送もされた。その時に出会った人たちからたくさんの支援が送られてきていた。

「なんとかその恩返しをしたかったんだ。俺たちは元気なんだって、姿を見せたかったんだ」

修一さんは、失敗したら組長を辞める覚悟で開催を訴えた。

組長である修一さんの熱意に、当初は反対していた将明さんの心も少しずつ変わっていった。

「確かに今は祭りどころではないのかもしれない。でも、全国から寄せられた支援に対して元気な姿を見せるのが、今の自分たちにできる精一杯の恩返しなのかもしれないと思い始めたんです」

現実に戻れば、瓦礫の山が行き場を失ったように目の前に広がっている。水産業の未来も決して明るくない。それは恩返しと同時に、自分たちはもう大丈夫なんだという自信を持ちたかったのかもしれない。

いつまでも嘆いていては前に進めない。自分たちが前を向いて進み始めている、その姿を支援してくれた人たちに伝えたい。こんな時だからこそ、地元が一つになることが必要なんだと地域の人たちを説得し、祭りの開催に踏み切った。

そして、将明さんは祭りのトリを見事に舞いきった。

「やっぱり昇ってよかったです。たくさんの拍手もわいた。虎舞がイヤなことを払えたんじゃないかって今は思っています」

修一さんも満足そうに、その舞を仰ぎ見ていた。

「反対していた若者たちの笑顔を見ていたら、やっぱりやってよかったと思ったね。元気な姿を見せられたし、俺たち自身も元気になった。この祭りは地域みんなの絆でもっている。でも、やっぱり続けなきゃだめなんだよ」

祭りは盛況のうちに4年後へと受け継げられていった。震災以来、日本全国で絆が叫ばれている。大切なのは言葉だけではなく、行動をおこし、途切ることなく、続けていくことだ。それが絆を強くしていく。それが絆を強くしていくのだ。

菅野修一
菅野修一(虎舞組長・60歳)

菅野将明
菅野将明(虎舞師・38歳)

虎舞
虎舞

虎舞囃子
虎舞囃子

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