2011.11.24 東松島市大曲浜「また海へ出る。ほかの道はないから。」

宮城県東松島市は養殖海苔の産地として皇室へも献上されるほどの品質を誇る。

相澤太さんは、その東松島市大曲浜で3代続く養殖海苔の漁師だ。2009年には、皇室御献上を果たしている。

港に父親を探しにいった際に津波に遭い、屋根の上で一晩を過ごした。幸いにも父親や家族は命を落とすことはなかったが、3代かけて少しずつ築いてきた漁船や養殖の設備などはすべて流されてしまった。

海苔の養殖には億単位の資金が必要である。再びゼロから漁を始めることは、つまり億単位の借金を背負う覚悟がなければならない。
国の補助金があるとはいえ、自分の息子、孫の代にまでかかわる話だ。

太さんの決断は早かった。

3月末には、10代の頃に養殖の研修で知り合った友人を頼って、岡山県までトラックを走らせて漁具を揃えた。そして海苔収穫の収入源にと、比較的低予算で はじめられるワカメの養殖の準備を進めていった。ワカメの種は伝手をたどって、長崎県から仕入れた。年明けの収穫を目指し、秋には種付けを行った。

「放射能の風評被害もわかっています。でも、ダメでもやろうと思っていました。他に選択肢がありませんから」

祖父からはじめた養殖海苔は、父親の代で生産技術が磨かれていった。そして自分の代では、事業としてもっともっと発展させたいと思っていた。その矢先に起こった震災は、その決意を踏みにじってもあまりある被害だった。

「漁師を減らしたくなかったんですよ。外国産もどんどん増えていますが、やっぱりここの海苔と比べたら、味はもちろん、何よりも食の安全面が違います。次の世代の日本の食生活を守るためにも、大曲浜の海苔をもっと多くの人たちに味わって欲しいんです」

櫻井健太さんも、太さんと同じ3代目の養殖海苔の漁師だ。

漁と違い、養殖は育て方一つで味も見た目も成長のスピードも変わる。養殖は、面白い。さぁ、これから養殖海苔をもっと大きく展開して行こう。そんな希望が芽生えたしかし、その希望は、津波に飲み込まれてしまう。

「親父が見つかるまでは何も考えられませんでしたよ。見つかったって連絡を受けて駆けつけたら、親父は漁で着るカッパ姿でした。最期まで漁師だったんです」

このままじゃ終らせられない。絶対に復活させる。父親の無言の言葉を受け取るように、櫻井さんは再び漁師になることへの覚悟を決め、漁の再開を目指して動き出していた太さんの誘いに乗った。

津田大さんは、養殖海苔の4代目。手をかけた分だけ育ってくれる養殖が好きだった。しかし、震災は、代々続く家業への思いを揺さぶった。

夏に2人目の子どもが生まれたばかりだった。多額の借金を背負うこと。家族への負担を考えれば、太さんたちの誘いにすぐには決断できなかった。

実際、海以外の仕事もいろいろと探した。

けれど「たとえ他の仕事に就いても悩んだと思うんです。代々続く養殖海苔の一家として、自分の代が一番だって言われたい。その思いは消せなかったんです」と最後には、海の仕事に戻ってきた。

相澤裕太さんは、父親から漁師を継ぐなら中途半端は絶対にダメだと言われ続けていた。

自然が相手の養殖は、手を抜いたらその分、品質に影響する。その厳しさを知っていた父親は、逡巡する息子を前に自分の代で終わらせてもいいと思っていたそうだ。教えてもらいたいことはたくさんあった。でも父親は海に奪われた。

「不安ですよ。でもやる。成功させたいんです」

津波に破壊された父親の漁船を直し、3代目としての覚悟を決めた。

1年後、太さんたちは、再び養殖海苔の収穫に成功した。けれど、「皇室御献上」は、果たせてはいない。
ずっと海の恵みで生きてきた。その海に大切な家族や船を奪われた。そして、いま再び海へ出る。震災以前の大曲浜を取り戻すために。

相澤太

相澤太(海苔養殖漁師・31歳)

櫻井健太
櫻井健太(海苔養殖漁師・30歳)

津田大
津田大(海苔養殖漁師・24歳)

相澤裕太
相澤裕太(海苔養殖漁師・24歳)

鳥海丸大曲浜の岸壁に打ち上げられたままの鳥海丸

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