はじめに

「家もねぇ、車もねぇ、俺たちこれからどうなるんだぁ」と少し投げやりな少年の言葉に、横にいた友人らしき少年が「しらねーよ」とぶっきらぼうに答えていた声が今も私の耳に残っています。

宮城県の離島、網地島で出会った少年たちです。津波が最も早く到達したと言われるこの島は、一時、本州からのライフラインが断たれ、飲み水もないという危機的状況に陥っていました。私は、NGOのスタッフとして震災直後の3月から被災地に入り、この島をはじめ、支援の届きにくい避難所や自宅避難者の元へと約3ヶ月間、毎日、物資を運び続けました。

被災地では、物の取り合いから暴動が起き、被災した銀行からは数千万の現金が盗まれるという事件も発生していました。自動販売機はすべてバールのようなものでこじ開けられ、ATMも破壊されていました。物資配布のない煙草は闇で一箱1000円で取引されていました。一方で震災から一ヶ月近くも物資支援を受けられないまま浜に打ち上げられる缶詰だけで飢えをしのいでいた被災者もいました。

冷静さを失わず必死に支援を待つ被災地の方々の姿に世界中から賞賛が集まりました。被災地の方々の精神力は、世界でも類のないほど強い。しかし、あえて言わせていただければ、震災から数ヶ月は、そんな美談では済まされないほどの極限状態でした。失望や怒りといった負の感情が渦巻き、津波が運んできたヘドロとともに被災地に異様な臭いを放っていました。

震災から1年が過ぎた今、被災地では何が起きているのか。避難所も閉鎖され、多くの方々が仮設住宅での生活をはじめています。復興が進んでいるように見えても、その進捗には地域差を強く感じます。所在なげに整然と分別された瓦礫の山。溢れ続ける海沿いの冠水。破壊された家々や陸に打ち上げられた漁船。そして放射能。目を覆いたくなるような惨状が放置されたままの地域も少なくありません。

震災は一瞬でも、その被害はその後、何十年と続いていきます。たとえ世間が忘れても、いまこの瞬間も現実に直面し続けている人たちがいます。震災のあと、被災地で暮らす方々が、何を思い、どんな気持ちで自らの人生を歩んでいるのか。その姿を記録していきます。

「震災のあと」プロジェクト/小林みちたか

震災のあと

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